うつびょうのヒビ

うつ病と家事育児の日々

【白血病】父は白血病でこの世を去りました「定年退職5か月前に発症して6年間闘病」待望の老後生活は地獄だった

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池江璃花子さん白血病のニュースをみました。大変な病気ですが復活してほしいと願います。治る白血病もありますから。

 

白血病と聞くと一瞬で父を思い出します。

 

私の父は白血病で66歳の若さで亡くなりました。

 

「もう働きたくない!」

と言って(;'∀')60歳で定年退職する予定でした。

 

しかし定年退職5か月前に発症しました。

 

それから約6年間闘病生活でした。

 

お金よりも老後をゆっくり過ごしたいと言っていました。一番の心残りはやはり定年退職して全くゆっくりしていない事です。

 

会社をきっちりと定年退職できずに入退院の繰り返しでした。

 

白血病と言っても様々な種類があります。当時は自分でたくさん勉強しました。父の白血病は当初は急性で余命半年と言われました。家族で絶望的になり毎日が本当に真っ暗でした。しかし少し回復してはまた酷くなりの繰り返しでなんだかんだで6年間の闘病でした。

 

抗がん剤治療がメインです。

臍帯血移植を二回しました。いずれも成功しませんでした。父は母親に当たったり怒鳴り散らしたり看護婦さんに怒ったりしていました。上手くいかない不甲斐なさを発散していたのでしょう。

 

検査の数値が良いと家に帰ることができました。それでも快適な生活はできません。出かけたり旅行したりはできません。じっとしています。もちろん元気がありませんから会話をするにも体力が要るようであまりしゃべりません。

 

定年退職後の悠々自適な生活とは真逆の地獄の生活でした。余命半年がとうに過ぎて一時は喜んでいましたがいっこうに良くならないので父親は絶望的という言葉では言い表せない感情だったと思います。

 

一番きつそうだったのは抗がん剤です。

口内炎が半端なくできてあちこち痛くてもう何もかも嫌だったのです。動けなくて激ヤセしました。

 

亡くなる前の最後の方はもう痛みがすごかったようでモルヒネをいつも打ってもらっていました。最後は治療というよりも痛みをただやわらげてあげるだけになっていました。

 

始めて父が泣いている姿をみました。

 

「痛い痛い助けてくれ~!」

 

と言っていました。

 

家族全員で泣いて泣いて

 

モルヒネをたくさん打ってもらいました。

 

それでも父は白血病を治して元気になる気持ちは持ち続けていました。遺書は全く書いていないし家に帰ったときの話をいつもしていました。

 

人間というものは、どんなに辛いときでも希望を持ち続けるものだなと感じていました。父はこのまま亡くなるとは全く思っていなかった様子でした。

 

白血病はすぐに命にかかわる場合もあるし長年にわたり治療する場合もあります。ほとんど治る方もいます。

 

父の場合のように闘病生活が長くなるのはとても辛いです。本人がつらいんです。生きようとする希望とやはり無理かという絶望の間で戦うのです。感情の整理が全くつきません。しかも入院中はずっと抗がん剤治療で痛い痛いのオンパレード。良い事が全くなくてもそれでも生きようと希望を持ちたい感情が消えません。

 

長く闘病生活をするのは身体とともに心がつらいです。白血病は癌の一種です。血液のがんなので腫瘍を取り除くとか明らかに目に見える癌ではないので本人も家族ももどかしい思いでした。血液を全部替えれば良いやんとも思っても違うしどうにかならないのか?と日々思いました。

 

今は母は元気モリモリなので母への親孝行と父がいないことへの心のサポートもしているつもりです。

 

家族にとっては白血病とは何だかわからない掴めない病気でした。抗がん剤の影響以外はとても元気がない人にしか見えず本当に白血病なのか?といつも思っていました。素人が白血病の勉強をしても何だかよく未だにわかりません。どうにかならないのか現代医学で治せないのかといつも悔しい思いでした。

 

早く白血病を完治できる薬や治療方法ができればよいなと時々思います。それができなければせめて抗がん剤治療の苦しみから解放してあげる事ができる方法があればと思います。抗がん剤治療が一番辛そうでした。

 

僕たちは父と一緒に闘病していたつもりです。でも闘病生活は良い思い出ではありません。辛いだけでした。長い闘病生活は本当に酷です。長い闘病生活から解放される方法を考えてしまいます。